結局何もしていなかったのではないか【調査会NEWS3931】(R7.5.24)

【調査会NEWS3931】(R7.5.24) ※このメールには返信しないで下さい。お問い合わせ・送信中止・アドレス変更等は代表荒木のアドレスkumoha551●mac.com(●を半角の@に変える)までお願いします。 ――――――――――――――――――― <結局何もしていなかったのではないか> (長文ですのでとりあえず最初の説明だけでも読んで下さい)
 荒木和博
 以下のレポートは本年2月20日に国連の強制的失踪作業部会(Working Group on Enforced or Involuntary Disappearances)が金正恩に宛てて送ったレポートです。2か月の猶予期間をおいて4月20日に公開されました。
 ここには特定失踪者が27人、しかも日本政府の拉致認定被害者と全く同列で扱われています。特定失踪者に関する情報については若干の間違いもあるもののかなり詳細に書かれており、これは昨年特定失踪者家族会がソウルの人権高等弁務官事務所を通じて作業部会に送った資料が基になっていると思われます。
 掲載されるべき特定失踪者で載っていない人が相当数いますが、これについては国連のスタッフが「全部一括して出してしまうより少しずつ出していった方が良い」と言っており、今後連携をとりながらやっていく予定です。
 それにしてもこのレポートを見ながら思ったのですが、政府(外務省)は国連にも当事者の北朝鮮に対しても(ということは他の外国にも)特定失踪者についての情報はほとんど提供していません。認定被害者の情報は日本政府の文書を使ったものと思われるので、結局「拉致認定の有無にかかわらず」というのがいかにごまかしなのかを痛感しました。
 そしてまた、作業部会のレポートを読んでいて日本政府の拉致認定というのがいかに意味のないものかもよく分かりました。レポートでは「受け取った情報の正確さを断定するつもりはありませんが」と断っています。日本政府もそう断って全部まとめて北朝鮮に突きつければ良いだけの話です。それで誰か拉致でない人が日本国内で見つかったところでそれまでの話であり、そもそも小泉訪朝まで北朝鮮は拉致をしたことがないと嘘をつき続けてきて、それについて謝罪したこはないのですから北朝鮮側にどうこう言われる筋合いはありません。今後あらためて別の視点からの対応をする必要があると思っています。 ――――――――――――――- (国連強制的失踪作業部会の金正恩宛レポート) ※このレポートには付属文書が付いています。それも含めた全文は以下の私のSNS(note)に原文(英語)も含めファイルを載せておきますので必要な方はそれをご覧下さい。 note.com/kumoha551/n/n37739e424169?sub_rt=share_pb
※翻訳には救う会いばらきの八木康洋さん他の皆様のご協力を頂きました。この場をお借りして御礼申し上げます。
強制的・非自発的失踪作業部会;朝鮮民主主義人民共和国における人権状況に関する特別報告者;超法規的、即決的または恣意的処刑に関する特別報告者;真実、正義、賠償および再発防止の保証の促進に関する特別報告者;女性と女児に対する差別に関する作業部会の付託事項
参照:ALPRK 1/2025 (返信にはこの参照番号をご使用ください) 2025年2月20日 閣下(訳注・金正恩を指す)
 私たちは、強制的・非自発的失踪作業部会、朝鮮民主主義人民共和国における人権状況に関する特別報告者、超法規的、即決的または恣意的処刑に関する特別報告者、真実、正義、賠償および不再発の保証の促進に関する特別報告者、ならびに女性と女児に対する差別に関する作業部会として、人権理事会決議54/14、55/21、53/4、54/8および50/18に従い、閣下にご連絡申し上げます。  これに関連して、1950年以降の朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)による、日本国民に対する誘拐、その後に続く強制失踪を含む、国境を越えた弾圧の繰り返される様態に関する情報を、閣下のご政府に提供したいと思います。  特別手続きの権限保有者は、以前にも同様の懸念を閣下のご政府に伝達しています(PRK 3/2024、PRK 2/2024、PRK 2/2020、PRK 1/2020、PRK 2/2019、およびPRK 1/2012)。私たちは、これらの通報や、強制的・非自発的失踪作業部会によって送付された多数の事件に対して、実質的な返答を一切受けていないことについて、引き続き遺憾に思います。私たちは、人権理事会が2024年4月4日の決議55/21において、北朝鮮による日本国民の国際的な拉致問題に関して繰り返し強調した深刻な懸念を想起し、さらに、特別手続きの権限保有者による、北朝鮮における状況を国際刑事裁判所(ICC)に付託するよう安全保障理事会に対する以前の呼びかけを改めて表明します(それぞれA/HRC/WGEID/118/1パラグラフ46、A/HRC/27/49パラグラフ72、A/HRC/39/46パラグラフ90)。  受け取った情報によると:  北朝鮮は、1950年以降、国家政策として、多くの場合その後の強制失踪につながる外国人の拉致を含む、組織的な超国家的弾圧行為を行ってきました。北朝鮮に起因するとされる拉致と強制失踪のほとんどは、大韓民国の国民に関わるものであり、その数は8万人から10万人と推定されていますが、同時期に北朝鮮による日本国民の拉致の可能性が排除できないケースも多数存在し、その数は700人から900人に及ぶと報告されています。  拉致された多くの男性および女性は、思想教育、スパイ訓練を強制された、または特定の産業で働くために技術学校や職業学校に送られたと伝えられています。拉致は、強制結婚や、北朝鮮の中央レベル機関が労働力や技能を獲得するための具体的な目標を達成するため、あるいは労働力不足を補うためなど、さまざまな理由で発生したと報告されています。技術者、薬剤師、医師、実践的な能力を持つ若い男性および女性といったカテゴリーの人物が、特に標的にされたとされています。  拉致された者の大半は、阿吾地炭鉱などの遠隔地の鉱山地域に強制的に移送され、多くが労働収容所や政治犯収容所に消えたと伝えられています。受け取った情報によると、拉致された者は北朝鮮を離れる自由を否定され、大韓民国や日本の家族と連絡を取る権利を否定されました。 洋上での日本人漁師の失踪  冷戦期には、数百人の日本人漁師が、大韓民国または日本を出港して漁業のための航海に出た後、北朝鮮の工作員によって洋上で拉致されたと報告されています。拉致された漁師の一部は、拿捕中に処刑されたとされていますが、その他多くの者は北朝鮮に連行されたと考えられています。  1955年9月24日、中野政二さんは、大韓民国の済州島付近で、北朝鮮の国家工作員によって拉致されたとされています。中野さんは、他の11人の乗組員と共に第12玉栄丸に乗船しており、日本の佐賀県伊万里港を出港しました。同船と乗組員は、午前4時30分頃、済州島南30マイルの水域で行方不明になりました。捜索船がその海域を捜索しましたが、彼らを発見できませんでした。同船は後に、同じ水域で大韓民国で拿捕されました。  1963年5月11日夜明け、寺越昭二さん、寺越外雄さん、寺越武志さんは日本の高浜漁港から寺越昭二さんの船に乗って出港しました。1963年12月13日、その船は行方不明と宣告され後に海岸から7キロメートル沖合を漂流しているのが発見されました。船には衝突の痕跡と日本で使われていない塗料の跡が見られました。  1987年には、寺越外雄さんが親族に連絡を取り、自身が平壌に住んでいると述べたと報告されています。また、兄の寺越昭二さんはピストルで処刑され、遺体は海に投棄された一方、弟の二人は北朝鮮に連れて行かれたと報告されています。寺越武志さんは北朝鮮に住み朝鮮労働党員として働いていると報じられています。  1967年11月7日午前6時頃、紙谷慶五郎さんと彼の3人の息子、紙谷圭剛さん、紙谷礼人さん、そして紙谷速水さんは、日本の元稲府北岸港を出港した後、北朝鮮の工作員によって拉致されたとされています。目撃者の証言によると、紙谷さんの船は3隻の船に囲まれていました。船体は後に海底で発見されました。  1982年10月28日、野田福美さんは、日本の島根県美保関を出港し、日本の北海道礼文島周辺でイカ釣りをしていた10隻の船団を率いていました。野田さんは、午後10時30分頃に行方不明になるまで同僚と無線で通信していました。彼の船は翌朝、明かりがついており、稼働可能な状態で無人のまま発見されました。  1988年8月2日、矢倉富康さんは日本の鳥取県沖合で釣りをしている最中に行方不明になったとされています。矢倉さんの漁船はエンジンが停止しており、船体左舷前方に別の船との衝突の痕跡が見つかりました。 元陸上自衛隊員の失踪  数名の日本国民が、元陸上自衛隊員と認識されたため、日本にいる北朝鮮工作員によって標的にされたとされています。これらの人々には、1960年5月に日本で行方不明になったと報告されている田村正伸さん、1963年末に日本で行方不明になったと報告されている坂下喜美夫さん、1963年6月に日本で行方不明になったと報告されている高橋太一さん、そして1977年5月に日本で行方不明になったと報告されている仲里次弘さんが含まれます。 北朝鮮で目撃された、拉致された日本国民  日本から拉致されたとされる多数の日本国民の目撃情報が北朝鮮で報告されています。1976年2月7日、藤田進さんは、日本国内の西新井病院で、朝鮮労働党の海外情報部のメンバーによって拘束されたと報じられており、その後、拉致されて北朝鮮に連れて行かれました。2004年には、北朝鮮の関係者から藤田さんの関係者に対し、北朝鮮の軍事情報訓練センターで日本語を教えている日本人男性の写真が提示されました。藤田さんの過去の写真と提示された写真について、専門家による法医学的な鑑定が行われ、その結果、両方の写真の人物が藤田さんであると結論づけられたと報告されています。また、2004年には、北朝鮮からの脱北者が、平壌にある金正日政治軍事大学で藤田さんを目撃したと証言したとも伝えられています。  日本で行方不明になった他の多数の日本国民は、北朝鮮からの脱北者によって目撃されたと引用されています。1960年2月27日、木村かほるさんは、秋田市の自宅近くで北朝鮮の国家工作員によって拉致されたとされています。木村さんは21歳の看護学生であり、午後5時30分頃、教則本「基礎看護学」を持って寮を出て、しばらく出かけると言ったまま戻りませんでした。北朝鮮からの複数の目撃者の証言によると、彼女は平壌外国語大学で学ぶ日本語教師として働いているのを見かけられました。  生島孝子さんも、北朝鮮から脱出した大学教授が1983年に平壌のアパートで生島さんに似た女性に日本語を教わったと証言したと伝えられた後、北朝鮮に住んでいると言われました。生島さんは1972年11月1日に東京都渋谷区で行方不明になりました。  1978年から79年頃および1990年から92年頃、北朝鮮からの二人の脱北者が、斉藤裕さんが北朝鮮に住んでいるという目撃証言を提供しました。斉藤さんは高校生で、パチンコ店でアルバイトをしていましたが、1968年12月1日に北海道稚内市で拉致されたとされています。彼は自宅から4キロメートル離れた友人の家を訪ねに行った際に連れ去られました。  1996年から1999年頃、徳永陽一郎さんは、脱北者によって北朝鮮に住んでいると言われ、彼の「収容所記録」には1954年から1955年に日本から朝鮮に行ったと記されていたと報告されています。徳永さんは1953年10月7日に長崎で最後に目撃され、国家工作員によって北朝鮮に誘い込まれたとされています。徳永さんは染物屋で「配達員」として働いていましたが、別の仕事の機会を提示された後に突然失踪しました。  1997年、大屋敷正行さんは、1969年7月27日に静岡県沼津市で行方不明になった後、北朝鮮からの脱北者と共に北朝鮮に3ヶ月間住んでいたと報告されました。1976年、北朝鮮からの脱北者で元北朝鮮工作員が、1975年4月4日に兵庫県高砂市で行方不明になった萩本喜彦さんを見たという証言をしました。同様に、1976年8月2日に山口県宇部市で行方不明になった国広富子さんは、北朝鮮からの脱北者によって、平壌の中央党幹部の家でのパーティーに出席していた女性に似ていると報告されました。1960年9月21日から東京で行方不明になっている宮澤康男さんも、北朝鮮で複数の目撃者に見られたと報告されています。  2006年、北朝鮮からの脱北者は、平壌の病院で日高信夫さんに似た人物に会ったと証言したとされています。日高さんは1967年9月頃に東京都台東区で拉致されたとされています。彼は転職し、東京の印刷会社での雇用を終えた際に行方不明になりました。同様に、1963年6月16日、中塚節子さんも、東京都文京区の印刷会社を退職した後に行方不明になったと報告されています。彼女は日高さんの会社と寮の近くに約2ヶ月間住んでいました。行方不明になった日、彼女はサンダルを履き、小銭を持って、彼女より6歳年上の同僚と寮を出ました。彼女は決して戻りませんでした。  多くの家族は、行方不明になった愛する人からと思われる匿名の電話を受けたことも報告しています。約4年間、1984年6月4日に新潟県柏崎市で行方不明になった山本美保さんの親戚は、自宅への無言電話を報告しました。失踪前、山本さんはバイクで自宅を出ましたが、そのバイクは後に甲府駅南口近くで発見されました。彼女のバッグも後に柏崎市の荒浜海岸で発見されたと報告されています。1993年頃、北朝鮮からの脱北者は、国家安全保衛部(現・国家保衛省)の第5454部隊で彼女を数回見たと証言しました。  1977年5月に関東地方で失踪した仲里次弘さんの親族は、2002年に彼が北朝鮮にいるという匿名の情報が伝えられる電話を受け、その後、二度目は北朝鮮からの脱北者を名乗る人物から電話を受けました。国井えり子さんの家族も、国井さんが1968年12月12日に北海道網走市で失踪した後、無言電話を受けていると報告しました。高校生だった国井さんは、試験があるので早く学校に行かなければならないと、身近な人たちに話していました。北朝鮮からの脱北者が提供した写真を法科学者が鑑定し、「本人と一致する」と判断しました。  同様に、1年か2年の間、日高満男さんの家族は、定期的に、真夜中から午前1時頃にかけて無言電話を受けたと報告しており、テレビの音に似た背景音と共に「ツッ」という音が聞こえたと報告しています。日高さんは小さな漁船を借りて、鹿児島県諏訪之瀬島沖合で一人でトローリングに出かけた後、1989年2月23日に行方不明になりました。彼の船は後に沖合で発見されましたが、釣り糸はまだ垂れ下がっており、船は燃料切れで漂流していました。 北朝鮮によって認められた日本国民の拉致  2002年9月、当時北朝鮮の最高指導者であった金正日は、当時日本の首相であった小泉純一郎に対し、北朝鮮の工作員が1978年から1983年までの間に日本国民13人(女性7人、男性6人)を拉致したことを認めました。この容認以前は、北朝鮮が行った日本国民に対する拉致および強制失踪のすべての主張は否定されていました。拉致された日本国民のうち5人は、北朝鮮によって日本への訪問を許可され、北朝鮮には戻っていません。北朝鮮は、残りの拉致された日本国民8人(以下に列挙)はその後死亡したと述べています。  有本恵子さんは1983年6月1日にロンドンで英語を勉強中に拉致されました。北朝鮮は、有本さんが北朝鮮での居住の申し出を受け入れ、特殊機関で日本語を教えることに従事していたと述べた、と伝えられています。北朝鮮は、有本さんが一酸化炭素中毒で死亡し、彼女の遺体は集中豪雨で流され、その後2002年8月30日に発見され火葬されたと主張しています。  石岡亨さんと松木薫さんは1980年5月にヨーロッパ滞在中に拉致されました。目撃者は北朝鮮で石岡さんを確認しており、彼が北朝鮮で拉致されたと伝えられる松木さんや有本さんを含む他の日本人と一緒に平壌に住んでいると記された手紙が日本の自宅住所に送られています。北朝鮮は、石岡さんがガス中毒で死亡し、松木さんが1988年に交通事故で死亡したと主張しています。  田口八重子さんは1978年6月に北朝鮮によって東京から拉致されました。1987年11月に大韓航空機爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮工作員は、田口さんから日本人に成りすます方法について教えを受けたと信じられています。北朝鮮は、田口さんが交通事故で死亡したと主張しています。  横田めぐみさんは、1977年11月5日、13歳で学校からの帰宅途中に日本の新潟県沿岸地域で拉致されました。北朝鮮は、横田めぐみさんは鬱病の治療中に1993年に自殺したと主張しました。  原敕晁さんは、1980年6月17日に日本の宮崎県青島海岸から拉致されました。原さんの身元は、北朝鮮の工作員によって日本や大韓民国での身分偽装に使用されたと報告されており、1985年4月にソウルで逮捕された元秘密工作員は、原さんの拉致への関与を自白したと伝えられています。北朝鮮は、原敕晁さんは肝硬変で死亡したと主張しています。  市川修一さんと増元るみ子さんは、1978年8月12日に鹿児島市を車で出発した後、日本で拉致されました。彼らの車は、吹上浜キャンプ場の駐車場で、所持品が残されたまま発見されました。北朝鮮からの元工作員であり脱北者である人物は、金正日政治軍事大学でこの二人と話したと証言しました。また、市川さんは1990年から1992年にかけて、馬東熙(訳者注:原文ではMadongsun)大学の偵察指揮コースで日本語を教えていたと報告されています。北朝鮮は、増元さんと市川さんは海で泳いでいる最中に心臓発作で死亡したと主張しています。  2002年9月、北朝鮮は日本政府の調査チームに対し、拉致された8人の「死亡証明書」を提示しました。日本政府は、これらの証明書が同じ病院で、各々の主張される死亡場所と日付が異なるにもかかわらず、同一のスタンプで発行されていることを特定しました。北朝鮮は2004年の六者会合交渉において、「死亡証明書」には誤りが含まれており、2002年に急いで作成されたことを認めました。北朝鮮は、拉致された7人の「遺体」は北朝鮮内の3つの異なる埋葬地に埋葬されており、それらのすべてが1995年と2000年の豪雨によって流されたと述べました。北朝鮮は、雨の後の復旧作業中に発見されたと伝えられる松木さんの遺骨と、元夫が所持していたと伝えられる横田さんの遺骨を、日本政府に提示したと称しています。しかし、日本において刑事訴訟法に基づく関連手続きに従って行われたDNA鑑定では、松木さんおよび横田さん本人以外の人物のDNAが検出されました。また横田さんが死亡したとされた後にも複数の目撃情報が報告されています。 日本によって認められ、北朝鮮によって否定された日本国民の拉致  日本政府は、追加で4人の日本国民を拉致の被害者と認定していますが、北朝鮮は彼らが北朝鮮の領土に入境したことを否定しています。これらの国民の生死と所在、すなわち1978年8月12日に日本で行方不明になった曽我ミヨシさん、1977年8月19日に日本で行方不明になった久米裕さん、1977年10月21日に日本で行方不明になった松本京子さん、そして1978年6月6日にオーストリアで行方不明になった田中実さんについては、依然として不明です。曽我ミヨシさんに関しては、北朝鮮は彼女の娘である曽我ひとみさんが拉致され、2002年10月に日本に帰国したことを認めています。 「地上の楽園」帰還事業の名を借りた強制失踪 更に報告によれば、数千人の日本人が北朝鮮から誘いを受けた後に失踪しています。1945年に北朝鮮は在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連として知られている)を設立しました。朝鮮総連は在日朝鮮人に代替教育と雇用の機会を提供し、多くの在日朝鮮人が在日北朝鮮国民として登録することを選択しました。朝鮮総連は、北朝鮮を代弁するかのように日本国内の少数民族である在日朝鮮人に向けて、北朝鮮が「地上の楽園」であるかのように宣伝し、無償教育や無償医療のようなサービスや就労の機会が与えられるとしてきました。そして、これは日本のメディアを通じて強調されました。この動きは人道支援の一環であるとみなされ、日本と北朝鮮の双方の赤十字社の間で実施されました。日本から北朝鮮への朝鮮人の移住は北朝鮮によって計画され、1984年まで朝鮮総連によって実施されました。このプログラムに基づいて、約93,340人の在日朝鮮人とその日本人配偶者とその子供が北朝鮮に移住したと推定されています。  受け取った情報の正確さを断定するつもりはありませんが、我々は、日本人の拉致とその基本的人権の否定が、1950年以来、北朝鮮によって大規模かつ国家政策として行われた事に重大な懸念を表明します。我々はまた、拉致の最中に個人が処刑された疑いがある事、拉致被害者の死亡報告に関して国際基準に沿った調査が明らかに行われていない事、そして遺骨が家族に返還されていない事についても深刻に懸念しています。我々はこれらの事案がその家族に深い心の傷を負わせる影響に愕然としています。家族の皆さんは、親族や最愛の人の安否や所在について情報が無いままにされ続けています。多くの家族や個人は、社会的にも文化的にも困難な生活を強いられ、それによって取り返しのつかない損害を被ったと証言しています。特筆すべきは女性や子供で、家族構成の崩壊や社会からの排除を甘受せざるを得なかった事例もあります。  国際的な拉致や移送の形態を含む強制失踪の禁止は、国際法の下で確立された絶対的な規範です。我々は更に2014年の報告書における北朝鮮調査委員会の調査結果を想起します。そこには、収集された証言と情報により、北朝鮮国内の人道に反する犯罪行為が、数十年にわたり国家の最高レベルで制定された政策によって、かつ北朝鮮上層部の効果的な管理下にある組織によって実施されてきたと信じるに足る合理的な根拠となる旨が記載されています(A/HRC/25/63 段落74-79)。この結論に達するにあたり調査委員会は、北朝鮮が「被害者から長期間にわたって法の保護を剥奪する意図を持って行動している。北朝鮮が自由の剥奪をしている実態を認めずにいる事で、国際法によって母国が保障すべき被害者保護の権利の機会を事実上否定している。またそれは、国際法の下、国際連合の使命に沿ってなされるはずの国連人権機構による被害者保護も否定している」という事実も見出しました(A/HRC25/CRP.1 段落1146)。この点において、拉致被害者の家族は、真実や家庭生活を知り、死者を弔う文化的慣習を実践する権利が否定されてしまっています。強制失踪は継続的な犯罪であり、被害者の安否や所在が完全開示されない限りはその犯罪が終わる事はありません。  情報不足のため、特に冷戦時代に日本国内や他国で失踪したと報告された日本人の多くの事件が、行方不明事件としてしか報告されなかった事を我々は留意します。しかし、これらの失踪が北朝鮮による強制失踪である可能性を排除できないと、強調したいと思います。  我々は、北朝鮮が失踪者の安否や所在を隠蔽し、あるいは自由を剥奪している実態を認めずにいるからそれが強制失踪に該当するのだという事を繰り返し主張します。この文脈において、強制失踪の全ての被害者は、その家族や直接損害を受けた人も含めて、真実を知り、被った損害に対する賠償を受ける権利を有し、不当な妨害なくそれら権利を行使する権利があります。繰り返しますが、真実を知る権利は、国家がそのための制度を作り訴訟手続きを示さなければ生まれません。それによって正確な情報を探し当て、真実を立証し、最愛の人に何が起こったのかを効果的に証明する事が可能になり、結果として不処罰との闘争を有利に進め、法の支配を強化し、最終的に和解へと繋がります。  我々は、更に生存権が絶対的な規範である事を強調します。生存権を保障する上で重要な要素の一つは、違法に生命が奪われた可能性に対して関連する国際基準に従って捜査する義務を負う事であります。不法な死の可能性の調査に関するミネソタ議定書(2016年)もその基準の一つです。我々は、家族が捜査に関与すべきであり、遺体に関して特別な権利を有している事を強調します。  以上、申し上げてきました事実や懸念事項に関して、この書簡に添付の別紙「国際人権法の参照」を参照していただくようお願い申し上げます。ここには、これら疑惑に関連する国際人権文書と基準が引用されています。  我々に宛てて送られてきた全ての事件を解明する事が、人権理事会から与えられた権限の下での我々の責任でありますので、以下の点につきまして貴殿のご意見をいただけますと幸いです。  上記に言及の疑惑に関して、追加情報及び/又はご意見がありましたら、ご提供願います。  日本人への超法規的処刑、拉致、強制失踪、拷問、虐待の疑惑に対して、効果的で独立性があり中立で徹底した調査が行われているかどうかの情報をご提供下さい。もし真実と判明した場合には、これらの責任者を処罰したのかどうかについても併せてお願いします。  行方不明者と強制失踪者の安否や所在を解明するための措置について情報をご提供下さい。併せて、その家族に対しても相応にお知らせ下さい。  北朝鮮国内又は北朝鮮の管轄地区から発生した作為又は不作為によって被害者の家族が受けた損害の賠償に関して、既に実行済みの措置、あるいは将来行われる措置に関する情報をご提供願います。  北朝鮮で死亡したと伝えられた日本人の身元確認について、不法な死の可能性の調査に関するミネソタ議定書(2016年)等の国際法に沿って適切に行われたかどうかの情報をご提供下さい。遺体の発掘作業が尊厳をもって行われたのかどうか、遺骨が家族のもとへ返還されたのかどうかについての情報をご提供願います。また、これらの行為が失踪者の捜索に関する指導原則、特に原則1, 3, 5, 6, 7, 9, 13, 15にどれだけ則って行われたのかについても言及願います。  「地上の楽園」帰還事業の結果、移住又は再定住した人の安否や所在の情報をご提供下さい。  本書簡と閣下の政府からの回答は、60日以内に通信報告のウェブサイトを通じて公開されます。これらはその後、人権理事会に提出される定期報告書にも採用される事になります。  中野政二氏、寺越昭二氏、寺越外雄氏、寺越武志氏に関する疑惑に触れた事件は、既に強制的・非自発的失踪に関する作業部会の人道的手続きに則り閣下の政府に通報されています。本書簡はこの手続きに基づくこれらの訴訟の検討に影響を与えるものではありません。政府は本書簡と通常の訴訟手続きを分けて対応していただきたいのであります。  回答を待っている間も、本書簡にて言及した人達の生命や人格に取り返しのつかない損害が生じる事を防ぎ、容疑のある違反行為を断念させ再発を防止するため、また、調査により疑惑が真実であると判明した場合には、その犯行の責任ある人物への責任追及を確実なものとするため、我々は、必要な全ての暫定措置を講じる事を催促します。  本書簡の写しが日本と韓国にも送付済みである事をお知らせします。  閣下、我々が最大限の配慮をしたことを保証いたしますので、ご了承ください。 ガブリエラ・チトローニ 強制的・非自発的失踪に関する作業部会議長・報告者 エリザベス・サルモン  北朝鮮人権状況特別報告者 モリス・ティドボール=ビンズ  超法規的・即決・恣意的・処刑に関する国連特別報告者 バーナード・デュエーム  真実・正義・賠償・再発防止保証の促進に関する 国連特別報告者 ローラ・ニーリンキンディ  女性及び女児に対する差別撤廃作業部会議長・報告者
―――――――――――――――――――――――- <調査会・特定失踪者家族会役員等の参加するイベント(拉致問題に関係するもの)・メディア出演・寄稿・特定失踪者問題に関する報道(突発事案などで、変更される可能性もあります)等> ※事前申込み・参加費等については問い合わせ先にご連絡下さい。 ※記載されている参加者は調査会・特定失踪者家族のみです。
★5月31日(土)「『ふるさとの風』『しおかぜ』共同公開収録 in 札幌」(拉致問題対策本部事務局・調査会主催) ・札幌市生涯学習センター ちえりあホール(札幌市西区宮の沢1条1-1-10) ・特定失踪者家族会北越優子さん・調査会幹事長村尾が参加 ・問合せ 調査会
★7月19日(土)「『ふるさとの風』『しおかぜ』共同公開収録 in 川口」(拉致問題対策本部事務局・調査会主催) ・南平文化会館 ホール(川口市元郷6-14-1) ・調査会幹事長村尾が参加
★7月21日(月・祝日)13:20「都電に乗って拉致問題を考える」(鉄道愛好者ブルーリボンの会主催) ・12:45 都電荒川線(東京さくらトラム)荒川車庫前集合。 ・特定失踪者家族会幹事生島馨子さん・調査会代表荒木・幹事山本が参加。 ・連絡先等詳細はこちらから note.com/kumoha551/n/nf812a16ffbab?sub_rt=share_pw
★7月26日(土)「防人と歩む会講演会」(同会主催) ・TKP市ヶ谷カンファレンスセンター(新宿区市谷八幡町8番地)  市ヶ谷駅より徒歩約1~2分 ・調査会代表荒木が参加 ・申込・問合せ sakimorjapan@gmail.com 070-9114-1453(事務局)
★9月9日(火)「『ふるさとの風』『しおかぜ』共同公開収録 in 福岡」(拉致問題対策本部事務局・調査会主催) ・福岡市立中央市民センター(福岡市中央区赤坂2-5-8) ・調査会幹事長村尾が参加
★9月14日(日)「第7回シネマフォーラム『めぐみへの誓い』上映会」(予備役ブルーリボンの会主催) ・札幌国際交流館 ライラックホール(札幌市白石区本通16丁目南4-26)  地下鉄東西線南郷18丁目駅下車徒歩9分 ・調査会幹事長村尾が参加
★7月26日(土)「防人と歩む会講演会」(同会主催) ・TKP市ヶ谷カンファレンスセンター(新宿区市谷八幡町8番地)  市ヶ谷駅より徒歩約1~2分 ・調査会代表荒木が参加 ・申込・問合せ sakimorjapan@gmail.com 070-9114-1453(事務局) ★令和8年1月24日(土)「『ふるさとの風』『しおかぜ』共同公開収録 in 富山」(拉致問題対策本部事務局・調査会主催) ・オーバード・ホール 中ホール(富山市牛島町9-17) ・調査会幹事長村尾が参加
■調査会の本 ○『「お帰り」と言うために』(調査会編著・草思社刊)  書籍版・Kindle版1700円(税別) ○『北朝鮮 拉致と工作活動Ⅰ 拉致回廊 日本列島を行く』(杉野正治副幹事長著・調査会刊)。Amazonでお求めになることができます。(オンデマンド出版のため書店ではお求めになれません。書籍版2200円・Kindle版1400円・どちらも税別)
■拉致問題関連書籍一覧(特定失踪者家族会作成) araki.way-nifty.com/araki/2022/09/post-cf6ae2.html ★調査会のYouTubeチャンネル www.youtube.com/@特定失踪者問題調査会 ★代表荒木のYouTubeチャンネル www.youtube.com/@arakikazuhiro
★インターネット放送 channelAJER(チャンネル アジャ)では代表荒木と幹事長村尾の担当する番組を送信しています。会員制ですが1回26分の番組の前半は無料で視聴していただけます。 ajer.jp  荒木担当 『救い、守り、創る』  村尾担当 『オレがやらなきゃ誰がやる!』
★予備役ブルーリボンの会の動画配信「レブラ君とあやしい仲間たち」 ・代表荒木がキャスターをつとめています。 www.youtube.com/channel/UCPrqeCO5CGlj9Imyzz1_XTg ――――― ※特定失踪者に関わる報道は地域限定であってもできるだけ多くの方に知らせたいと思います。報道関係の皆様で特集記事掲載や特集番組放送などについて、可能であればメール(代表荒木アドレス宛)にてお知らせ下さい。 ////////////////////////////////////////////////////////// 北朝鮮船・遺体着岸漂流一覧 note.com/kumoha551/n/n6fca55ffafb3?sub_rt=share_pw 着岸漂流一覧と失踪関連地点マップ drive.google.com/open?id=1Nsd5Xf9dqDa6AsYv5_4VspEFmeNh95qS&usp=sharing _________________________________________ ■特定失踪者問題調査会■ 〒112-0004東京都文京区後楽2-3-8第6松屋ビル301 Tel03-5684-5058Fax03-5684-5059 調査会ホームぺージ:http://www.chosa-kai.jp/ YouTube https://www.youtube.com/channel/UCECjVKicFLLut5-qCvIna9A ●クレジットカードでのカンパが可能です。ホームページから入って手続きできます。 www.chosa-kai.jp/net_de_kifu ●郵便振替口座00160-9-583587口座名義:特定失踪者問題調査会 ●銀行口座 みずほ銀行 飯田橋支店 普通預金 2520933 名義 特定失踪者問題調査会 ●労金口座 中央労働金庫 本郷支店 144093 名義 特定失踪者問題調査会代表 荒木和博 (銀行口座のカンパで領収書のご入用な場合はご連絡下さい) ●毎月定額をカードから引き落とし支援するマンスリーサポートはこちらから readyfor.jp/projects/shiokaze-supporter ■特定失踪者家族会■ 住所等は調査会と同じです。カンパの送金先は 郵便振替口座 00290-8-104325 特定失踪者家族会 銀行口座 ゆうちょ銀行 普通預金 店番128(イチニハチ) 口座番号4097270 特定失踪者家族会 _____________________________________________________