浜坂事件とその後 (日本における外事事件の歴史12)【調査会NEWS3497】(R3.9.7)

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特定失踪者問題調査会特別調査班
 今回ご紹介する事件は、昭和34(1959)年7月から翌35(1960)年9月にかけて日本に潜伏して工作活動を行っていた北朝鮮工作員が、協力者とともに兵庫県美方郡の浜坂港から脱出しようとしたものの迎えの船と接触できず、予備地の兵庫県城崎郡城崎町(現豊岡市)に行っても接触できなかったことから潜伏先である東京に戻ろうとして検挙された「浜坂事件」と呼ばれるものですが、それから6年後に神奈川県で起きる事件も本件との関連性も疑われる点があることから「浜坂事件とその後」と題して書きたいと思います。
◆浜坂事件の概要
 金俊英(当時44歳)は昭和11(1936)年に渡日し、旧制の明治大学専門部で政治経済を学び、敗戦前の昭和17(1942)年に朝鮮に帰った人物です。昭和34(1959)年7月、北朝鮮工作機関の工作員として抜擢され、日本国内で北朝鮮工作員の有力拠点を作り、合わせて日本での韓国系首脳部の動向や北朝鮮送還問題の情報収集などの任務を帯びて偽造外国人登録証明書、乱数表、工作資金3000米ドルと日本円で20万円等を携行し7月29日の夜、北朝鮮の小型船を使って兵庫県美方郡浜坂町(現新温泉町)の浜坂港から密入国しました。
 金は当時、民族統一委員会外事部に所属、また経済局管理部長の要職にもあったとされ、工作員として徴用されて1カ月も経ないで日本に投入されたということは工作員としての素地は既に形成されていたと思われます。密入国後は上京して杉並区馬橋に拠点を設け、経緯は不明ですがS金物会社の専務・“川上崇弘”として活動し、朝鮮総連の東京中央区委員長も務める貿易商(飲食業とも報道あり)呉相殷(当時51歳)による毎月20万円の工作資金の提供を受けながら活動し、密出国が失敗して検挙されるまでの1年2カ月間は、収集した情報の報告は全て香港経由の航空便で平壌へ送っていました。
 金は都内に居住する呉のほかにもう1名在日朝鮮人を工作員として獲得し、「工作対象人物の調査や暗号通信・受信の要領、北朝鮮への報告連絡方法等のスパイ訓練を行った」とされていますが、当時の報道では金と呉以外に検挙された人物はなく、獲得された人物が誰だったかは不明です。金と呉が検挙されてから6年後の昭和41(1966)年5月、神奈川県藤沢市内で起きたひき逃げ死亡事件の被害者が金の協力者だったことが報じられますが、この件については後述します。
 恵谷治氏の著書『対日謀略白書』に書かれた説明では、金俊英は昭和34(1958)年7月末に密入国後、昭和35(1960)年9月末に検挙されるまでの間、北朝鮮本国から3回にわたって帰還命令が出されたということですが「所定期間内に工作が進まなかったため、帰国を延期した」旨の記述があり、結局4回目の帰還命令に従って帰国しようとして脱出に失敗し検挙されるわけですが、当時の一部報道では、金について「愛人が15人・・・」との記事もあり、これが事実なら帰還命令を3回も延期した理由が工作活動が進まなかったためか、日本に未練があったのか、疑問が残るところです。昭和30年代半ばの20万円というのはサラリーマンの月給の10か月分にあたります。それを毎月もらっていたのですから帰りたくなくなたのかも知れません。
 検挙後の調べでは、金が日本で活動中に特に親しく接触した日本人は約60人にも上がり、日本語が上手いことから、朝鮮人だとは気づかれなかったようですし、愛人のことも含めまさに「口八丁手八丁」の工作員だったということになります。
 一方、金の協力者・呉相殷については、外事事件として昭和25(1950)年に摘発された「第1次朝鮮スパイ事件」や昭和28(1953)年摘発の「第2次朝鮮スパイ事件」の際にも捜査線上に上がっていたとされる人物です。この「浜坂事件」を報道する記事には検挙の経緯について詳しく記述されたものが見当たりません。警察当局は当時から呉をマークしていく中で金の存在が浮かび上がり、その動向を密かに監視していたものではないかと推測されますが、今一つ、検挙に至った経緯ははっきりしていません。
 さて、検挙時の金と呉の行動について日本法令出版の『戦後の外事事件』内では「兵庫県警察は、昭和35年9月29日、密出国に失敗して東京のアジトに戻ろうとしていた両人を浜坂港で逮捕した」と記述されていますが、昭和38(1963)年1月22日の大阪高裁における判決文の中で明らかにされた2名の行動は昭和35(1960)年9月25日夜、金俊英に同行して東京駅を発ち、翌26日に北朝鮮本国から指令を受けていた密出国予定地である兵庫県美方郡浜坂町に到着します。
 浜坂町に入った2人ですが、金俊英は北朝鮮本国から迎えに来る船の乗員と接触するため浜坂小学校前に出かけ、呉は東京出発時に手荷物として浜坂駅に送っていた(当時は手荷物を駅留めで送ることができました)ミシンなどを受け取りに行き、旅館で金を待ちました。しかし、金は何らかの手違いからか、浜坂小学校前で迎えの船の乗員と接触することができませんでした。
 翌27日、金と呉の2人は、事前に予備の乗船地として本国から指定されていた城崎町の日和山海岸に向かい、ミシンなどの荷物は今度は浜崎駅から城崎駅に転送しました。日和山海岸では迎えの船の乗員と接触する場所として、近くの共同墓地を指定されていたため、昼間に2人で共同墓地の下見をします。
 夜になって金が迎えの船の乗員と接触するため共同墓地に向かったため、呉はこの間に城崎駅に行って転送しておいたミシンなどの荷物が駅についているかを確認に行き、宿で金の帰りを待ったということですが、金はここでも迎えの船の乗員と接触することができず、2人はやむなく東京に戻ろうとしていたところで兵庫県警の警察官によって職務質問の上、逮捕されました。
 『戦後の外事事件』では「兵庫県警察は、昭和35年9月29日、密出国に失敗して東京のアジトに戻ろうとしていた両人を浜坂港で逮捕した。」と説明されており、ひょっとしたら金と呉は迎えの船の乗員との接触を図るため、再び美方郡浜坂町に戻ってきたのかもしれません。
 逮捕時、呉は携行していたカバンの中にアルファベットとアラビア数字を組み合わせた大学ノート数枚に書き込んだ暗号文を持っており、別に押収した乱数表との照合から暗号が解読されました。それによると暗号文は北鮮からの指令で、一例として金の帰国命令は「日時、9月26日午後9時から同10時まで。場所、兵庫県美方郡浜坂町浜坂小学校正門真向い柱の前。タバコをくわえて立っていること。『マッチを貸してください』という男が寄ってきたら、タバコを1本取り出して相手に渡す。相手が『私は290号』と答えたらその男の指示に従うよう」というものでした。
 金と呉は逮捕から約3週間後の10月20日、「入国管理令違反」の容疑で起訴され、『戦後の外事事件』では昭和38(1963)年1月22日、大阪高等裁判所において、出入国管理令、関税法違反で、金俊英は懲役1年、呉は懲役6ヶ月、執行猶予2年の判決を受けました。『対日謀略白書』では「金俊英は64(昭和39)年に北朝鮮に帰国した」と記述があり、金は懲役後に帰国したと思われます。
◆6年後の事件
◇埋設された無線機
 工作員・金俊英が検挙されてから6年後の昭和41(1966)年5月22日、神奈川県茅ケ崎市に所在した「パシフィックホテル茅ヶ崎」の駐車場わきの道路拡張工事現場の地中から金属製の箱に収められた無線機が掘り起こされるという事案が起こりました。その後無線機は警察に渡され調べた結果、これまでにない高性能なもので、その構造から警察では「ソ連型の無線機」と結論付けされました。
 「ソ連型の無線機」といってもソ連(当時)のスパイが使うためなのか、北朝鮮の工作員が使うために埋められていたのかは、結局わからずじまいとなりましたが、パシフィックホテル茅ヶ崎の開業時期などから検証した結果、無線機が埋設された時期は発見時から遡って過去2年以内であること。しかも、鉄の格納箱の表面のさび具合が比較的新しい点などからみると、せいぜい1年以内のことではないかとの判断となったようですが、警察が当時の宿泊者名簿などを調べても無線機を埋設したような容疑者を発見できませんでした。
◇ひき逃げされた協力者?
 しかし、神奈川県警にはもう一つ、高い関心を呼んだ事件がありました。それは無線機が掘り起こされた5月22日の2日前の5月20日未明、茅ヶ崎市の隣、雨が降っていた藤沢市内で金泰明という医師が湘南遊歩道路上を散歩中に25歳の大工が運転するトラックにひき逃げされ死亡するという事件が起きていたことです。
 何故神奈川県警がこのひき逃げ事件に高い関心を持ったかというと、被害者の金医師は過去、浜坂事件の首謀者である工作員・金俊英に北朝鮮に住む父親の写真を見せられて工作活動への協力を強要されたことのある人物だったからです。
 この関係から神奈川県警は掘り起こされた無線機とひき逃げされて死亡した金医師との関連性を疑ったわけですが、ひき逃げ犯として逮捕されたのは25歳の大工で飲酒運転による事故の様相が強く、結局金医師と無線機を関連付けるものは出ませんでした。しかし、医師が偶然にひき逃げ事件に遭遇したとしても何故、雨が降る夜に、しかも夜に散歩に出ていたのか、不可解な点も残っています。
 ちなみに医師のひき逃げ事件の報道では「20日午前4時45分ごろ、奥さんが前夜から帰ってこない夫を捜していたところ、自宅近くの県道に倒れており、病院に収容したが間もなく死亡した」との記述があり、この点でも医師が日常と違う行動をしていて事故に遭った可能性もあり、未だに謎の多い事件と言えます。
 当初、浜坂事件に関する報道記事を目にした際は「密出国に失敗した工作員2名が逮捕された記事」とだけ思ってみていましたが、調べていくうちに数年後に浮かび上がる「埋設された無線機」や「ひき逃げ事件」といった新たな疑問点が増えるにつれ、まだまだ私たちが知りえない世界がこの日本にはあるということに改めて気づかされた次第です。
※パシフィックホテル茅ヶ崎の駐車場脇で発見された無線機については本年3月9日に現場でのライブを行っています。 https://youtu.be/YUsUXYuPZDY
また、【調査会NEWS3410】(R03.3.10)にも書かれています。 araki.way-nifty.com/araki/2021/03/post-a4860e.html
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